2021年 
ATRAS展出展
【映像】HDビデオ 29分19秒
映像、絵本
 秋田から取手に来て、早くも7ヶ月が経った。何も分からず不安な私を気にかけてくださった方には、お子さんがいた。一人子どもがいると、また一人また一人と子どもが集まってくる。私はどういう距離感で関わればいいのかわからず、遠巻きに観察した。彼、彼女らは私にとってあまりにも未知な存在であった。彼、彼女らは、その場その時その瞬間を生きている。興味が瞬時に入れ替わり、噛み合っていないようで噛み合う会話、溢れんばかりのエネルギー。喜怒哀楽以外の表情も持ち合わせているようでたくさんの顔を見せてくれる。親の言うことはそんなに聞かない。彼、彼女らを見ていると「生」と言う言葉が思い浮かぶ。            
 秋田では、お年寄りの方と対話することが多かった。人生の教訓や後悔、自身の最期に向けてをたくさん教えてくれた。そんな大先輩たちとは真逆に、自己中心的に生きる彼、彼女らが衝撃だった。彼、彼女らは、あまりにも「生」という言葉が似合うので「死」という言葉を知らないように感じた。そもそも、私たちはいつから死を認識したのだろうか。いつ自分の命は有限であることを知ったのだろうか。少しずつ断片的に理解し「死」として認識するのだろうか。
「死」を認識していく過程で、私たちは「死」に対してなにを思い、どう想像を巡らせたのだろう。                                           今、目の前で興味や喜怒哀楽がコロコロと変わる彼、彼女らは、始まったばかりの自分の生の終わりをどう認識しているのか。大人もよくわからない問題にどう答えていくのか、私は興味があった。そして私なりの、彼、彼女たちと関わるきっかけの一つの手段として、絵本を通して対話をすることにした。

 今回、対話を試みる対象年齢を10歳以下とした。おおよそ10歳という年齢は、「死」を現実的に理解し、「死」の最終性、普遍性を認知できるようになる年齢と言われている。そして、私自身が10歳の時、同級生と先生に絶望し「ここから消えていなくなりたい」と「死にたい」と母にごねた年齢でもある。10歳以下の子どもたちが、どういったことを話すのか私は興味があったので、10歳以下のこどもたちと対話をとることにした。

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